心神耗弱と刑事責任能力
お久しぶりです。
今回は刑事責任能力のない罪人が無罪になることと、鉄道への飛び込み自殺を同時に議論したいと思います。
まず、前者について。
刑法第39条は次のようなものです。
よく「刑事責任能力」とか言いますけど、ざっくり言うとそれがない人は無罪になったり、減刑対象になったりするよという条文のようです。
これ、納得いかないんですよね。
刑事責任能力の有無であったり、その診断結果を受けて無罪にするかはすべて医師や裁判官の匙加減なわけです(もちろん一定の基準はあると思いますが)。
さらに言わせてもらえば、じゃあ刑事責任能力があればその罪人は同じ罪を犯さなかったのかと。
一般に犯罪者は刑事責任能力があり、有罪になれば刑罰が下されるわけです。また、精神病を患っており刑事責任能力がないと診断される可能性のある方でも罪を犯さずに生きておられる方もいるわけです。
余談ですが、刑法第40条はかつて聴覚障害者は刑事責任能力がないから無罪にするというような内容だったらしいです(驚きですね)。当然、聴覚障害者団体からの「差別につながる」といった抗議により現在は削除されています。
加害者の人権を保護するためなのか知らないですけど、被害者の人権はどうなるんだ?と常々思っています(刑事責任能力を失った原因が被害者ならわかりますが)。
これと鉄道を使って自殺することの何が関係するのかと思われるかもしれませんが、少しお付き合いください。
鉄道の運行を妨げるのは立派な犯罪行為です。置き石や立ち入りなど、安全を脅かす行為をすれば罰せられたり、損害を与えた鉄道会社から賠償金を要求されたりすることでしょう。
では、列車への飛び込みはどうでしょう。
当然、列車は急ブレーキをかけます。車内に立って乗っている人は転倒する危険も生じます。具体的なソースはありませんが、おそらくほぼ100%死亡するでしょうし運転手の方は精神的ダメージを受けます。事故処理もありますから処理が終わるまで運行は止まりますし、直接処理にあたる方にも精神的な苦痛があると思います。
もちろん、自殺するほど苦しんだその方には同情しますが、鉄道をその手段に選ぶなら話は変わると思うんです。これ、自殺とはいえ結構な犯罪行為だと思いませんか?ある意味自爆テロまがいの行為ですよ。
それなのに、鉄道に飛び込んで自殺した方を責める意見に対して擁護する意見ってあるじゃないですか。人が死んでるのに冷たいとか。すみませんその気持ち僕はわからないです(鉄道会社に文句を言う人の気持ちもわからないですけど)。
僕の意見は、そもそも自殺して欲しくないし、鉄道や不特定多数の人間に恨みがあるのでなければ他の自殺方法を選んで欲しい。
少し話が反れましたがこの構図、刑法第39条と同じじゃないですか。心神耗弱しているからこうした行為を許せ、と。
本当に許して良いんですかね。犯罪によって受けた心の傷を被害者本人や遺族はどう解決させれば良いんでしょうか。ただでさえ有罪判決を受けた遺族も「罪が軽すぎる」と仰るのに。
鉄道自殺の方も、死ねば多大な人に迷惑をかけて良いわけでもないでしょうに。その論理なら自爆テロも容認することもできると思います。
心神耗弱してるから許すなんてあまりに上から目線過ぎて差別助長してますよね。心神耗弱しても強く生きてる方はたくさんいるのに。
わからないです、最近の人権保護は。
なんかうまくまとまりませんでしたが、京阪の守口市で2日連続で人身事故が起きて身内が駆り出されるのを見て感じたことを書いてみました。
それでは。